厭世庭園

As good as it gets

生存報告2021/3/19

今日は祖母の一周忌でした。 

 

亡くなってからの一年はとても長く感じられるのですが、いまだに夢に祖母が出てきて、その中では元気ビンビンなのもあって、起きてから、ああ、亡くなってたんだな、と侘しさを覚えることがままあります。

死の直前まで祖母は真っ赤な服を着ていて、自宅で寝たきりだったのですが、ベッドと看護用の物品、それと幾らかの花だけの置かれた簡素な部屋の中で、その赤い服が呼吸に合わせて緩やかに上下しているイメージが、今も脳裏に焼き付いて離れないんですよね……

 

私は当時学校を休み、祖母を自宅で看護しながら卒業制作をすることに決めたものの、やはりキツい看護と作画とを併行したためか絵を描くのが心底嫌になって、死後3月末から7月半ばまで、ほぼ何も描けずフラフラとしていました。

コロナ禍の始まりと重なっていて自宅で過ごすことが多かったのもあると思うのですが、その3ヶ月は、何をしていたかという具体的な記憶がないのです。

ただ、なんだか長い間何もしてなかったという、茫漠な感じが残っているだけで。

びっくりするぐらい絵を描きたいという気持ちが霧散してしまってて、友だちとの交流がなかったら、絵描きとして再起できなかったと思います。

 

一周忌という節目に思い返すと、絵を通してお金を稼ぎたいとか、多くの人に絵を見てもらい認められたいという気持ちが、祖母が旅立ってのち、完全に無くなりはしないものの、かなり弱まってしまったのを感じます。

その以前の記事を振り返ると、コメントなどに、せっかく専門学校に行ってまでお金をかけたのだから……だとか、大手への持ち込みに関する内容を多く書いていて、それが今の自分に相容れないので、変わってしまったことを実感したのでした。

 

そういうメンタル面の変化への価値判断はひとそれぞれだろうけれど、私としては今後も人間関係と交流に無理なく気をやりつつ、静かに自分の制作を進めることを望んでいる次第です。

交流とは相互的なものなので、あまり輪を広げすぎると容易にキャパオーバーに陥ったり、やり取りが形骸化してボタンを押し合うだけの関係になりがちだということを、今までの経験から身に染みて理解しているつもりです。

だから、どうもそういうことに関しては慎重になってしまう感があります。

 

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話題は変わるのですが、藤川家は福岡の本拠の他に沖縄にも住まいを構えておりまして、沖縄というのは気象条件のために外壁塗装が劣化しやすく、その劣化具合によっては大がかりな補修工事を行う必要が出てくるのです。

我が家も例にもれず傷み具合が見過ごせなくなってきたらしく、現地に赴いて見積もりを出した塗装業者と色々相談することになり、そのため3/27から数日間、このブログはお休みする予定です。

 

上の写真は、沖縄は慶良間諸島に属する慶留間島の風景なのでした。

独特な様式の校舎が原色の自然の中に建っていて、強烈な日差しや熱気もあると思うのですが、その異物感が、言語化しにくいなんともいえない感情を喚起してきたことを鮮明に覚えています。

この写真はその情感を、悲しいくらい表現できていないのですが……

 

フェリーは運行しているようですし、せっかく沖縄を訪れること、またマンガの作画のために熱帯感のある写真資料が必要なことも相まって、可能なら感染対策に十分気を遣って再訪したい気持ちがあるのでした。

この写真は2年前の7月に撮ったものですが、やはり月日が経つと物の見方が変わってきて、なぜ私はあの時、この被写体にもっと迫れなかったのだろうと、悔やむ気持ちが膨らんでくるんですよね。

もちろんこんなご時世だから、無理してまでは行かないけれど。

 

 

今日は一段と、長乱文を失礼いたしました。

明日は今日描いてる分も合わせて、また趣味全開な絵を陳列したい気持ちであります。

 

それではまたいつか