厭世庭園

As good as it gets

絵の練習 学ラン×3

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今日は似たような立ち絵ばかりなのでした。

学ランは好きというか、思い入れがありまして……

私自身、小学校から私学に通ってたのですが、その時の制服だったんですよね。

学生の生活で思い出されるのは後悔ばかりで、たぶんその悔恨が学ランという形で絵への執着につながってるのでしょう。

 

ところで私学なんてのものは、今思い返せば、生徒も親も教員も理事も皆どこか壊れていて、パーソナリティ障害者の巣だったように思います。

私も含めて(まわりがみんなイかれてると、自分が変だとは中々気が付けないんです)。

 

学校がなぜそんな有り様になってたのかは見当がつかないものの、中高と学年が上がるたびに、クラスメイトがバタバタ辞めていった記憶があります。

その時は何か事情があったのかな、というふんわりした認識だったけど、彼らはまっとうな感性を持っていたから、親の価値観の押しつけや教育側の欺瞞に耐えきれなくなったんだろうな……というのが今現在の理解です。

 

心を病むクラスメイトも実に多かった。

なぜだか一言も、まったく喋らない生徒もいました。

彼が英語の授業で当てられて、それでも喋らないものだから教師がブチ切れて、それをみんなが笑ってるという状況も覚えています。

私は笑えなかったけれど、何かが間違ってると声を上げる勇気も持ち合わせていなかったのは確かで……

まったく正気の沙汰ではなかったけれど、閉鎖された環境では信じられないことがまかり通っているものなんですよね。

現在は、どうなんでしょうか。

なんとなくですが旧態依然のような気がします。

 

ちなみに、そんな人間スクラップの群れの中にも、ごくまれだけど物凄く人格ができあがってたクラスメイトがいたのを覚えています。

おそらく親がとびきり酷くて、それを反面教師にしたのだと思います。

子どもは自分で親を見限らない限り、親の人格以上にはならないものだから……

(もちろん、彼らの親がとびきりの人格者であった可能性も否定できないのですが、私にはどうしても、子どもを小学校から私学に入れたがるような親が立派な人格を備えてるとは信じがたいのです)


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学校の話はさておき作画については……

裸体を描いてから服を着せる手順もあると思うのですが、私としては、衣装それぞれの比率を頭に入れておいて、最初から着た状態で描くのが良いと思っています。

服はだいたいが簡単な形状に還元できて(今回の学ランだと上着の三角形など)、その形状が服のイメージと結びついてることが多いのです。

例えばスーツのカチッとした感じは四角い感じに由来しているなど……

 

裸体から描くと人体に服を合わせる形になり、服の形状によるイメージとポージングとが噛み合わないことが割とあるんですよね。

そういった理由から、イメージ先行で服のざっくりした形状から描き、そこに人体を合わせてデッサンの狂いを調節していったほうが良いんじゃないかと思うわけです。

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余談ながら実生活では、小学校の学ランにローファーを合わせてるのはあまり見ませんね。

運動靴とかが多いように思えます。

 

それではまたいつか